AGF®ストーリー
地域との共生
「徳之島をコーヒーアイランドに。」
生産者の想いと挑戦
執筆:2022年6月
読了目安:約6分
奄美群島に属する離島の一つである徳之島(鹿児島県大島郡)では、1982年からコーヒーの栽培が行われています。
味の素AGFは、2017年に伊仙町役場、徳之島コーヒー生産者会、丸紅株式会社とともに「徳之島コーヒー生産支援プロジェクト」契約を締結し、徳之島でのコーヒー生産支援を開始しました。
今回は、このプロジェクトのルーツである徳之島でのコーヒー栽培の軌跡をたどります。
𠮷玉誠一氏が抱いていた南米への憧れ
徳之島コーヒーを語る上で欠かせない人物がいます。
徳之島で最初にコーヒー栽培をはじめた𠮷玉誠一さんです。
1945年宮崎県に生まれた𠮷玉さんは、幼いころから農業への関心が高く、十代の頃にはブラジルの農業移住者やコーヒーなどの熱帯作物の栽培に憧れを抱くようになりました。しかし、家族の反対にあい、集団就職で大阪府の鉄工所に就職。
約20年間をその地で過ごすことになりました。
徳之島をはじめて訪れたのは、1980年12月のこと。
国産旅客機「YS-11」というプロペラ機で入島しました。
きっかけは、島出身の知人に誘われたこと。最初は休暇のつもりでしたが、サトウキビの収穫を手伝うなかで人手不足を知り、結果的には会社を退職し、1981年に家族とともに移住しました。36歳の時でした。
当初、徳之島でコーヒーを栽培することは難しいと考えていたため、サトウキビの栽培をはじめましたが、島でキャッサバが生育しているのを目にし「この環境ならコーヒーも育つのではないか」と情報収集とコーヒーの苗木探しを開始しました。
そんな中、奄美大島の知人から「湯湾(奄美大島最高峰の湯湾岳を有する地域)に住むブラジル帰りの方がコーヒーノキ※1の苗木を分けてくれるそうだ」と連絡がありました。
譲り受けた苗木は100本。𠮷玉さんを信頼し、畑を貸すことを決断してくれた島民の方にも恵まれ、これらの苗木は海側と山側の二つの土地に分けて植えられました。
しかし、海側は塩害にやられ、山側は冬の寒さで枯れるなど、コーヒー栽培の出だしは困難なものでした。
苗木を植えてから4年後の1986年。コーヒーノキにはじめて白い花が咲き、翌年には晴れて実がなりました。
実は、まずパルパーで果肉を取り、乾燥させ、パーチメント(種子を包んでいる内果皮)を手で剥くなどして、1kgの生豆にし、奄美大島でコーヒーの焙煎を行う喫茶店に送りました。
しかし、またもやここで壁にぶつかります。
この喫茶店のマスターから連絡が入り、「送った生豆をヘビーローストにしたら炭になった。これはコーヒーではない」と言ってきました。最初は電話でケンカ。それでも3年、マスターに豆を送り続けました。焙煎に成功したのは豆を送りはじめてから4年目のこと。苗を植えてから8年が経った1990年のことでした。
「コーヒーベルト」と徳之島の環境
𠮷玉さんが試行錯誤を重ね、長い月日をかけて誕生した徳之島産のコーヒー。ここまでの経験談からも、徳之島でのコーヒー栽培が容易でないことはわかります。
ここで、そもそも徳之島の地理的な条件はコーヒーに適した環境といえるのか、確認してみたいと思います。
一般的にコーヒーの栽培に適した環境の条件は次の4つだといわれています。
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①降水量:量でいえば年間1800mm~2500mmと、特別多くも少なくもない降水量ですが、重要なのは雨季と乾季のようなメリハリです。成長期に雨が多く、収穫期に乾燥している環境が望ましいとされています。
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②日当たり:コーヒーノキは日光を好む植物ですが、日当たりが強すぎると元気がなくなってしまいます。そのため、産地ではコーヒーの横に少し背の高い木を植えて、日差しを和らげる工夫を行っています。
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③温度:年間の平均温度は高すぎず、低すぎない20℃前後の夏の避暑地のような過ごしやすいところが理想的です。
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④土質:土質は肥沃で、水はけが良いことが重要です。少し酸性の土壌のほうがコーヒーにはいいようです。
4つの条件を満たすことができる地帯は「コーヒーベルト」とよばれ、赤道直下の南北回帰線にはさまれたエリアをさします。
徳之島は北緯27度、東経128度に位置し、北回帰線からは約1000km離れています。亜熱帯性気候で、年間平均気温は21~22℃、降水量は年間2000~2500mm。
島の中央部には、島の最高峰である井之川岳(645m)があり、北端には天城岳(533m)、南には犬田布岳(417m)があり、徳之島三山といわれています。特に天城岳と井之川岳の山塊は南北にはしり山脈のようでもあります。
徳之島でのコーヒー栽培はチャレンジばかりではありますが、このような好条件と可能性を信じ、𠮷玉さんは諦めませんでした。
コーヒー栽培を町の産業に
コーヒー栽培が少しずつ軌道に乗り始めた頃、𠮷玉さんはコーヒーを島の代表的な産業にしたいと考えるようになり、2000年に生産者組合を発足しました。
その後、2009年に徳之島の伊仙町が「農業生産額50億円」を目標とする計画を打ち出し、その一環として、コーヒー栽培を支援することを決めました。それを受け、𠮷玉さんは生産者組合を「徳之島コーヒー生産者会」として再出発させ、会員は20名にまで増えました。
町の想いは、𠮷玉さんのコーヒー栽培を支援し、島の特産品にすることで、もっと町を活性化したいというものでした。
多くの島の若者たちが高校卒業後に島を離れてしまうため「子どもたちが農業に夢を持ち、将来また島に戻ってきてくれれば」と、この支援にはそのような願いが込められていました。
2012年、町は6000本の苗を生産者会に提供しましたが、暴風対策などが遅れ2年目の台風でその70%が被害を受けてしまいました。
徳之島でのコーヒー栽培が盛り上がりを見せつつあっただけに、台風被害によってメンバーが減少したことや再び細々と栽培を続ける状態に逆戻りすることは、𠮷玉さんにとっても辛く苦しいものでした。
それからしばらくして味の素AGFは𠮷玉さんと出会うことになります。
そのお話は次回へと続きます。
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